どうも、最近ピアスデビューしました管理人のじめこです。
今回の記事は子供時代のことやピアスへの憧れ、開けた理由やタイミングなどをつづったエッセイとなります。
暇つぶしに最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
目次
おしゃれとは無縁な子供時代

私の地元はホタルや野生のイノシシに遭遇するなど自然豊かなところで、幼少期は家で遊ぶよりも外で冒険ごっこをしたり秘密基地を作ったりと活発な女の子でした。
中学は運動部でカラスのように真っ黒に日焼けし普段の飲み物はお茶よりも牛乳。
服はおもに姉のおさがりか近所の衣料品店で買ったものでした。
ショッピングのため街に出ても人酔いし、友達と初めて旅行をした時も私の服を見て「引率の先生みたい」と言われる始末。
家族皆がおしゃれをするという感覚が鈍かったため、私もどうやってファッションや容姿に磨きをかけたらいいのか分からず学生時代を過ごしました。
高校に入学して長かった髪をバッサリ切ろうと美容室に行った時の事です。
この美容室、決して最先端のヘアスタイルを追求しているようには見えませんが地元のおばさまたちに根強い人気で母も通っていて信頼もあり近所ということもあってそこに決めました。
当時木村拓哉さんのドラマ『その時、ハートは盗まれた』に夢中になり、共演の内田有紀さんのショートカットが可愛くて可愛くて♡
それに似せようと「こんな感じにしてください!」と自分で描いた絵を持っていきました。
雑誌の切り抜きじゃない時点でアウトですよね。
40代くらいの美容師さんはその絵を見て少しだけ質問し慣れた手つきで切り進めました。
最初は自分も内田有紀さんになれるとワクワクが止まらなかったのですが途中から違和感を感じるように。
でも小心者なので言うに言えず仕上がったのは前髪短くおでこ丸出しのベリーショートの私。
まるでマッチ棒です。

『・・・なんだ、このマッチ棒頭は??』(私の心の声)
内田有紀さんとかけ離れてる!!
終わって自分の顔が引きつっていることが分かりました。
その表情を察してこれはやばい!と思ったであろう美容師さんも『こんな風にスタイリングしたら可愛いよ~、アハハ。』
アハハ~、じゃないよー-泣。
家に帰って色々触ってはみましたがどうやってもマッチ棒です。
ちなみに昔の私は眉毛を整えるということも知らなかったのでケンシロウのような立派な眉を蓄えていました。
そうです、マッチ棒ケンシロウがそこにいました。(なんならケンシロウよりも髪の毛がかなり短い)

北斗の拳大好きですしケンシロウには罪はないのですが(←当たり前※ちなみに当時の推しはトキとジュウザ)、私の人生の中でこの時ほどこの世から消えてしまいたいと思ったことはありませんでした。
でもさすがに3年間マッチ棒頭ではありませんでしたが、ケンシロウのような今にも繋がりそうな太い眉は続き、彼氏ができるはずもなく、結局おしゃれもどうやっていいのかわからないままとなりました。
そんな私がひそかに憧れていたのがピアスでした。
おしゃれ=ピアスという概念。
はい、単純です。
学生時代からピアスへの憧れ

高校時代、イケてる女子はスカートの丈を短くしたり化粧をしたり眉毛整えたり、イケてる彼氏とイチャコラしたりとキラキラ輝いていました。
校則もやぶってヤンチャな感じがまた魅力的なんですよね。
黒髪うねりまくりのマッチ棒ケンシロウ(私)とは違ってきれいな茶髪だしツヤツヤしてるし街の美容室で切ったであろう当時流行りの髪型。
自分の魅せ方をよくわかっている異次元の存在です。
そのイケてる女子の最上級はピアスも開けてたんですよね。
それがカッコいいし可愛いし小心者で痛いの嫌いなマッチ棒ケンシロウ(私)にとっては絶対真似できなかった。
ピアスは無理でもイヤリングはどうだろう。
安いイヤリングですがこんな私でもいくつか持っていました。
ただ耳たぶを圧迫するイヤリングはつけると頭痛に悩まされ断念。
ネックレスも小さいものでも肩が凝ったりアクセサリーが体調に影響するので大人になっても全くつけることをしませんでした。
自分で穴あけの失敗がトラウマ

大学生になりやっと眉毛を整えることが出来るようになりました。
そんな頃にピアスを自分で開ける友達が出てきて「なんて勇ましくカッコいいんだ」と私はまるでヒーローを見るかのよう。
しかもピアッサーではなく針で穴を開けたとういではないですか。
その武勇伝を語る友達の顔がとても誇らしげなんですよね。
よし、友達が出来るなら私にも出来るだろう。
やり方を教えてもらいファーストピアスを購入して消毒と裁縫針と氷水と清潔なハンカチを用意。
耳たぶをしっかり冷やし消毒済の裁縫針を手にいざゆかん!
ドキドキ止まらず何度も深呼吸の私。
ヘタレだし1回でブスッと貫通させる勇気もなくじりじり刺すのですが、今思えばこのじりじりがダメだった。
なんでも勢いって大事ですよね。
最初の気持ちだけ勢い良かったのに手が動かない。
耳たぶはしっかり冷やしていたので痛みの感覚はそこまでなかったのですが実は先端恐怖症なので片方穴開けるだけで精一杯でした。
そして開けた片方もファーストピアスがうまく通らず焦るし怖いし、もうやーめた!とあっさり諦めてしまいました泣
そこから自分で開けた経験がトラウマになり今日に至るわけです。
20・30代のがむしゃら生活
ピアス願望どこいった?
って忘れるくらい20代は必死に働き、結婚出産をへて30代は障がい児ママとなりました。
自分の事を着飾る余裕もなく毎日を息子の育児に明け暮れる日々。
だんだんとおしゃれをするという気持ちも離れ、汚れてもいい動きやすい服ばかりを着ていたし化粧っ気もなく今更アクセサリーをつけるなんて考えもつかなかった。
時間があれば眠りたかったし、障害と向き合うことに必死で一番苦しかった時代です。
毎日を無事に乗り切ることに一生懸命でした。
今でもあのころの記憶はぼんやりとしか思い出せません。
40代でピアスデビューしたワケ
40代になり少しづつ自分の時間が増え、心のゆとりも生まれやりたかったことを少しづつやってみようという意欲も出てくるようになりました。
その意欲とともに今ならおしゃれを楽しむことが出来るのではないか、アクセサリーくらいたしなみたいと思うようになりました。
実際若さという強みは無くなり昔の肌の張りや髪の艶が減り顔周りがさみしくなってきたのを感じていたし、どちらかというとすぐ顔に疲れが出るタイプ。
このまま老けていくのは嫌だ!と考えていました。
そして再燃したピアス欲。
今度は絶対病院で開けようと心に誓っていました。
それでも穴あけの恐怖でなかなか行けずにいた時、息子が病気で緊急入院する事態が発生しました。
人工呼吸器を繋ぐとても重い状態。
自分が想像するよりも速いスピードで状態が悪化し、気持ちがついていかない。
追い打ちをかけるように重い合併症にまでなってしまい久々に息子の死を意識しました。
傍にいたくてもコロナ感染予防のため思うように面会も出来ず、家に1人でいても不安で何も手につかず自然と涙が出てくる。
何かしていないと一番最悪なことを考えてしまうので無心になりたいとひたすら自宅のフローリングを磨く日も。
そしていつでも集中治療室からの呼び出しに飛んでいけるよう寝るときは枕元に服を置き、会えなくてもせめて同じ建物にいたいと病院で時間をつぶしたり、夫婦で突き付けられた現実に言葉をなくし途方に暮れた時もありました。
SNSやテレビもシャットアウトです。
そんな日が続き何か変化が欲しかった。
ネガティブな気持ちに押しつぶされそうだったんです。
息子が重い病状なのに不謹慎かもしれませんが何か気持ちを変えずにはいれなかった。
スピリチュアルなものには興味はないですが何かの記事でピアスを開けると運命が変わると頭をよぎりました。
1人面会の帰り道に思い立ってネット検索し電話でクリニックにお願いしました。
今からおいでということだったので道に迷いながら汗だくで到着。
汗が引く間もなくクリニックの先生は私の緊張なんて関係なく淡々と準備を進めました。
今思えば時間をかける方が決心が揺らぐので良かったと思っています。
そして診察もこそこそに穴あけいざゆかん(2回目)
・・・痛みは
痛みは音にすると「バチっ」って感じ。
へー-なるほどこんなものですか、って声に出たくらい余裕でした。
開けてすぐは違和感は感じましたが痛みがあるわけではなくそれも忘れてしまうくらいでした。
そしてやっとピアスデビューをしたのです。

大事なこと

ピアスの穴を開けることで息子の病状が変わるわけではないけれど何かにすがりたかった。
私の穴あけの痛みなんて息子の痛みに比べたらミジンコのようなものだし長年の憧れのピアスを付けることでポジティブ思考を高めて悶々としたこの気持ちを晴らしたかった。
今は念願のピアスデビューをして清々しいです。
楽しみはセカンドピアスを何にするか。自分へのご褒美にダイヤモンドやゴールド、パールもいいなと気持ちも上がっています。
たまには物や経験などで自分を甘やかしてあげることを大事ですよね。
息子はというと懸命な治療と息子の頑張りのおかげで重い病状から脱し安定しています。
本当に良かった。
今までずっと頑張っているのにまた頑張らせてしまいました。
本音を言うと、ずっと頑張らせてばかりなのでもう頑張らなくていいよって思ったこともありました。
でもそのことをある人に話したら「それはあなたとまだまだ一緒にいたいし甘えたいからよ」と言ってくれました。
まだ入院生活続いていますが、退院したら沢山抱っこしてあげたい。
そしてこのしんどかった期間も数年たったら笑って話せるのだろうと確信しています。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
良いことばかりではないですが日々前を向いて暮らしています。
※ピアスを開けると運命が変わるという説はあくまで仮説にすぎず私が立証および推奨しているわけではありませんし、私が何か幸運を切り開いたというわけでもなく以前と変わりはありません。
