重症心身障がい児の母となった私の記録②【出産当日~赤ちゃん初対面まで】

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管理人じめこの紹介


2017年に注文住宅で平屋の家を建てました。
現在夫と12歳の重症心身障がい(全介助・気管切開・胃ろう)の息子と暮らしています。
ワンオペ育児に加えて息子の急な体調不良や入退院なども多く働きたくても働けない40代専業主婦です。
そんな私がゼロ知識で本サイトを立ち上げ、家づくりや日々の出来事、おすすめ品や息子のことなど綴っています。
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はじめに

出産は誕生を迎える家族にとって最も幸せな瞬間です。
けれど私の場合辛く悲しい記憶しかありません。

妊娠中何か体に負担をかけただろうか?
誰かに恨まれるようなことをしていたのだろうか?
独身時代の不摂生が原因だろうか?

そんなことを考えて事あるごとにめそめそと泣いていたものです。

涙もろいので息子の生い立ちや出産の出来事を話すと泣いてしまうのでうが、以前よりは心折れずにへこたれなくなりました。

はじめから逆境に打ち勝つ強い母なんていないんです。

私は時間経験息子にかかわる人との縁が自分を成長させてくれたと思っています。

これからの時代、障がい児がいても絶望感に苛まれず、生活に落胆しない制度や福祉サービス、温かい支援の手が増えることを願っています。

今回は【出産当日~赤ちゃん初対面まで】です。
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出産当日の異変

妊娠28週と3日目の早朝、ろっ骨を押し上げる下腹部の猛烈な痛みで目を覚ましました。

かれこれ同じ痛みが10日以上続いていたのですが産婦人科で痛みを伝えエコー検査をしてもらったけどどこも問題なし。
医師によれば妊娠後期に起こる下腹部痛だということだったのでいつも通り我慢をしていました。

そしてその日も早朝に痛みが起きました。

治まるのを待っていたらいつもより痛みが激しい。
冷汗もひどくこれ以上は我慢できない。
これはおかしいと別室で寝ていた夫を起こし、救急車を呼んでほしいと言ってそのまま壁にもたれる様に倒れてしまいました。

その時かろうじて意識はあったのでお腹の赤ちゃんは守らねばとゆっくりと倒れたのを覚えています。

救急車到着後も容態は悪化し血圧も低下、意識も混濁。
車内で血圧をあげる注射を何本も打たれたけれどその痛みなんてこの下腹部痛と比べると蚊に刺されるようなものでした。

見つからなかった搬送先

救急隊員は必死に処置をしてくれていました。
私は意識混濁の中、家からほど近い場所に救命救急のある大きな病院があったので、一番最初に打診をしてほしいと救急隊員にお願いしました。

しかし受け入れを依頼するもいっぱいで断られてしまい、定期健診を受けていたクリニックに診てもらおうにも私の容態が悪すぎて診れないと拒否。

受け入れ要請をするたびに断られてばかりでした。

私はその間、下腹部の激痛と血圧低下と意識朦朧と闘っていました。

そして何とか受け入れてくれたのは家から電車バス乗り継いで2時間の距離にある総合病院でした。

病院についた時には救急車を呼んでから4時間も経過。
ストレッチャーに乗せられて声をかけられながらもドクターや看護師が夫や救急隊員とあれこれ説明していたのをうっすら覚えています。

忘れられないのが私のそばに私服姿でセカンドバックを小脇に抱えたおじさんがいたのですが、一緒に手術室に移動しながら『もう大丈夫や!楽になるからな!』と声をかけてくれたこと。
あとでわかったことはそのおじさん、私のために緊急で呼び出された麻酔医だったらしい。

ドラマのようですがその声掛けにとても安堵して、もう大丈夫なんだと私の意識はそこで途切れました。

緊急帝王切開で出産

病院に到着してすぐに手術室に入り、全身麻酔の帝王切開ですぐに赤ちゃんは取り出されました。

救急車を呼んでから約5時間後の事でした。

夫は手術前、執刀医に「母体優先でいきます、いいですね?」と言われたそうで、私も赤ちゃんもとても危険な状態だったようです。

その言葉で夫は赤ちゃんはもう駄目だろうと覚悟したとか。
ですが懸命な処置のおかげで2人とも助かることが出来ました。

赤ちゃんの状態

赤ちゃんは28週の新生児仮死で生まれました。体重が1000g弱で極低出生体重児となります。

生出生体重児 2500g以上4000g未満
低出生体重児 2500g未満
極低出生体重児 1500g未満
超出生体重児 1000g未満

新生児仮死とは

生まれたときにうぶ声をあげず、酸素不足や循環器系、中枢神経系の不全状態に陥ることをいいます。新生児仮死の主な症状が以下になります。

  • 呼吸が浅く不規則
  • 心拍数が少ない
  • 顔面蒼白
  • チアノーゼ

仮死で生まれましたが医師たちによる懸命な処置で蘇生することができ、小さいながらも自発呼吸を始めたそうです。

早産の原因

早産の原因は子宮の表面に普通はできないであろう静脈瘤ができ、それが破けて少しづつ出血をしていたとのこと。
量にすると4リットル。
その大量出血で血圧が低下しお腹の赤ちゃんに酸素が行き届かず母子ともに危険な状態となり緊急の帝王切開となってしまったのです。

前置胎盤や胎盤剥離、妊娠高血圧症や胎児がお腹の中で元気がなくなってしまい早産に至ることはあるのですが、私のケースは極めて稀で医師からは学会に症例として発表してもおかしくないほどだと言われました。

なぜこうなる前に分からなかったのか?
年明け早々に下腹部痛を診てもらいに産婦人科に行ったのに・・・。

あとで説明を受けましたが、エコー検査ではお腹の中の出血や静脈瘤は分からないとのことでした。
長期間ちょっとずつ出血していて結果4リットルもの量になったらしいです。

それを聞いた時、赤ちゃんに申し訳ないし苦しかったろうなと自分を悔やみました。

赤ちゃんと初対面

全身麻酔で出産した私は2日間集中治療室にいたので赤ちゃんとの対面はすぐにはできませんでした。
ただ手術室を出る頃に麻酔が薄れて外で待っていた夫や駆けつけた私の両親に赤ちゃんの状態を聞いたことを覚えています。

「赤ちゃんは?赤ちゃんは?」と問う私に夫は大丈夫、大丈夫といってくれました。
良かった、赤ちゃん無事なんだ、と安心して私は眠ってしまいました。

そして出産の翌日に夫は一人で赤ちゃんに会うことに。

対面の喜び・・・そんなものはありませんでした。
1000g弱の早産で生まれ体は小さく細く皮膚の色も赤黒く、人間の赤ちゃんというより動物の赤ちゃんのように見えたらしいです。
自発呼吸はできていたものの体に管がたくさんついていて可愛いというより痛々しく対面して戸惑いと不安が募ったと。

そりゃそうですよね、妊婦の妻が白目をむいて救急車で運ばれ、まだ生まれないと思っていた赤ちゃんは早産で、母子ともにどうなるか先がわからない状況ですもの。

出産はしたけれど妻は集中治療室、赤ちゃんは見たことないくらい小さいし管もいっぱいで泣きもしない、今起きていることが悲劇すぎて気がおかしくなりそうだったと言っていました。

もちろん負の感情が溢れすぎて愛情が湧くことはなかったそうです。


そして私が赤ちゃんに会えたのは出産から3日目。
大量出血による貧血と帝王切開後の体の消耗が激しく動くのも辛かったですが車いすに乗せてもらいNICUで会うことが出来ました。

その時の感情は一言で表すと他人事

可愛いとか可哀相とかそんなものはなく、自分に起こっていることとして頭の整理が出来なかったのです。
それに変に冷静な自分がいて、赤ちゃんと初対面だしみんな労わってくれるし、これって私泣いた方が良いかなと思ってしまったくらい。

一種のトランス状態のようで、その時はこれからの事とか障がいとか全く想像も出来ませんでした。

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