重症心身障がい児の母となった私の記録①【妊娠後期まで】

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管理人じめこの紹介


2017年に注文住宅で平屋の家を建てました。
現在夫と12歳の重症心身障がい(全介助・気管切開・胃ろう)の息子と暮らしています。
ワンオペ育児に加えて息子の急な体調不良や入退院なども多く働きたくても働けない40代専業主婦です。
そんな私がゼロ知識で本サイトを立ち上げ、家づくりや日々の出来事、おすすめ品や息子のことなど綴っています。
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はじめに

私は、重症心身障がい児の母親です。

息子が生まれる前は平凡なパート勤めの一人の主婦でした。
出産前は「普通に出産して健康な子どもが生まれる」ことが当たり前だと思っていました。

今でこそ元気に障がい児育児をしていますが私の出産は母子ともに命がけだったのです。

何事もなく生まれてくることがどれほど奇跡なのか今は分かります。

息子が生まれてから様々な出来事が起き、あれよあれよと想像と違ったレールにのってしまいました。
平凡なパート主婦が一気にマイノリティ(少数派)となってしまったのです。

起こっていることに理解できず戸惑いと不安と孤独感に苛まれた日もありました。

だって自分が障がい児の母親になることを想像もしなかったんですもの。

障がい児育児はマニュアルがなく不安でいっぱいになります。
ただ障がい児育児の世界を知ると少数ながらも同じような経験をされている方と出会い、一人じゃないと安心することが出来ました。

私と同じような思いはしてほしくない。
ですが、もし同じように苦しい思いをされている方がいたら、どうか一人でもがき苦しまず、自分を責めないでほしい。


私の出産は辛いもので当時は泣いてばかりでしたが今は不幸ではありません。
突き付けられた現実に苦しんでいる方へのエールに繋がれば幸いです。

そしてこの体験談を通して重症心身障がい児を知ってもらい当事者や家族に優しい世の中になることを願っています。

出産までの過程

私の結婚は27歳でした。
仕事もしていたしすぐには子供はつくらず29歳の時に子作りを解禁。

ですが待てど暮らせど妊娠の兆候はなし。
妊娠できるように体作りをしようと毎日たくさん歩いたし、トイレの神様に好かれるよう毎日ピカピカにしたり、半身浴や鍼灸も。
妊娠に効くと言われた高額サプリメントにも手をだしたし気を紛らわすために習い事もしました。
授かるまでの出費は本当に大きかったです。

妊娠したい一心で不規則な正社員の仕事をやめパート従業員になり妊活に全集中していました。

やっとの思いで妊娠できたのが33歳の時です。
あの時の夢か現実かわからないホワホワした感情は今でも忘れられません。

妊娠初期~中期

赤ちゃんが欲しいと思ってもすぐに授からなかったこともあって妊娠してからはとても慎重になっていた気がします。
初めてなので分からないことが多く、周りに出産を経験している友人はいなかったので参考になるものは本やネットからしかありませんでした。

妊娠を機にパート勤めも辞め、元気に生まれてくることを考え散歩や軽い運動、鍼灸も続けストレスなくのんびりと過ごしていました。

妊娠初期に出血はありましたが、エコー検査も異常なし。
採血の数値も問題なしで経過はとても順調でしたし、つわりはスーパーや炊き立てのお米の匂いなど苦しみましたが比較的軽い方でした。

唯一苦しんだこととして妊娠中期からひどい便秘に悩まされました。

本当に出ない。
出ても鹿の糞くらい(リアルでごめんなさい)

でも力むと流産に繋がったらと不安だったので医師に相談して薬を処方してもらったのを覚えています。
でも薬を飲んでも便秘解消とはなりませんでした。

そして初めての出産だったので里帰り出産を選択。
妊娠中に帰省をすることはありましたが、基本的にゆったりと妊婦生活を楽しんでいました。

妊娠後期

妊娠後期に入ってすぐにろっ骨を押し上げるような下腹部痛が始まりました。
痛みで冷汗が出ることも。

その痛みは決まって早朝に起こっていたのですが日中は治まってたんです。

経過が順調だったことや妊娠後期となれば多少のお腹の張りや下腹部痛もあるとネットにも書いている。
痛みが起り始めた時期がちょうど年末だったこともあって検診には行けず、年が明けたらすぐに産婦人科に行こうと心に決めていました。

そして年が明けてすぐに産婦人科で痛みを相談しエコー検査してもらったのですが何も異常なしでした。

安心したのもつかの間、その3日後に緊急の帝王切開で息子は生まれたのです。

妊娠28週と3日の出来事でした。


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